今回は、前回とりあげた「不定冠詞 a と an の使い分け」についての説明を題材に、共時態と通時態の観点から英語史の醍醐味について考えてみたいと思います。
まず、スイスの言語学者ソシュールによると、共時態とは「時間軸上の一定の面における言語の状態」をいい、通時態とは「時代の様々な段階で記述された共時的断面同士を比較しその間に生じた変化」のことをいいます。例えば、「不定冠詞 a と an の使い分け」について考える場合、「通常は a で、後続の単語が母音で始まる場合に an になる」という説明は、現代英語における共時的な解釈によるものです。一方、歴史的視点による「基本は an で、子音連続回避のために子音の前では n が脱落して a になる」という説明は、通時的な解釈によるものです。
「不定冠詞 a と an の使い分け」の場合、共時態と通時態が対立し、歴史的事実と反する現代英語の文法説明は誤りなのか、という疑問が生じます。しかし、共時的な解釈の方が通時的な解釈よりも例外発生率を低く抑えられ、より経済的な記述が可能になることから教育・学習上の効率が上がると考えられるため、教育の場において共時的解釈を捨てる根拠がありません。
すると反対に、なぜ通時的な解釈が必要なのか、という疑問も生じます。このことについても、語源を知ることで学習効率が上がるなどの教育効果を主張することは可能です。しかし、研究者同士の対談を聴いていると、英語史の本質は、英語の現在の姿に素朴な疑問を持ち、その疑問に焦点をあてて過去に遡り、過去から現在までをタイムトラベルし、通時的変化を見つけることを楽しむことのように感じます。そして、その変化が大きければ大きいほど、その現象は英語史的に「おもしろい」ということになるのだと思います。
卒論を進めれば進めるほど研究が複雑ということが明らかになる一方、自分が論文を通じて英語史の何を伝えたいのかがよく分からなくなって5ヶ月。私が慶應通信へ入学するきっかけとなった堀田先生の本を改めて読みながらこの記事を書くことで、英語史とは何かを冷静に検討することができました。皆さんにとって英語史が何の役に立つのかは全く分からないけれど、純粋に英語史のおもしろさを伝えていければと思います。
参考文献
堀田隆一『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』研究社、2016年
堀田隆一「#831. Why "an apple"?」「Hellog〜英語史ブログ」
(http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2011-08-06-1.html)
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