#3. 異綴りキング through ![2023.09配信]

 今回は、「綴り字の歴史の物語」をタイムトラベルしようと思います。時は、後期中英語 (1300--1500) です。 

 まず、現代風の英語の綴り字体系は、15世紀のウィリアム・カクストン [注1] の活版印刷の普及を経て、1650年頃にその原型が固まりました。それから約1世紀後の1755年にサミュエル・ジョンソン [注2] の辞書が現れる頃には標準綴り字がほぼ確定した、とされています。 

 また、活版印刷以前、書物の複製は写字生により手書きで行われていました。当時はまだ、話し言葉にも標準英語はなく、方言も多様で、写字生が文章を書き写すときには、それぞれの方言の発音に即した綴り字をあてて表現していました。 

 したがって、後期中英語期頃は、全ての単語に複数の異綴りが確認されても不思議ではない状況であった、と考えられます。 例えば、through では異綴りの豊富なバリエーションが顕著に見られ、後期中英語期の through の綴り字は 515通りもの異なるスペリングがあり得たそうです。ぜひ、http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2009-06-20-1.html にて、壮観な515の異綴りをお楽しみください。 

 このように極めて自然に受け入れられていた綴り字のバリエーションが1つに固定化された現象もまた、歴史的大事件だと思うのです [注3]。日本の英語教育では、少しでもスペリングを誤ると減点されますが、視点を変えればスペリングの個性の否定は「多様性」の否定とも考えられる、と思うのです。(個性の程度にもよりますが…)このことについて、堀田先生は、「英語の試験で一字でも間違えたらバツということを我々は当たり前のように受け入れているが,中世の写字生がこの厳しい英語教育の現状を見たらなんというだろうか?」(hellog#53より) と語られています。


 [注1] 15世紀イングランドの商人、外交官、著作家、印刷業者。イングランドで初めて印刷機を導入して印刷業を始めた人物とされている。

 [注2] 18世紀イングランドの文学者(詩人、批評家、文献学者)。

 [注3] 英語の綴り字改革は数世紀にわたり展開され、いまも新たな議論が続いている。


 参考文献

堀田隆一『英語史で解きほぐす英語の誤解 納得して英語を学ぶために』中央大学出版部、2011年、114頁

堀田隆一「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」「Hellog〜英語史ブログ」   (http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2009-06-20-1.html 閲覧日:2023年9月4日)

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本ブログは、堀田隆一教授監修(慶應義塾大学)、埼玉慶友会で配信中のメルマガ(helmaga)のバックナンバーです。

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